追悼・志村けんさん

↑ 僕が唯一撮影した志村けんさんの写真です。

90年代の初め頃、18歳ぐらいの時に初めて特殊メイクアップのアシスタントで「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の撮影現場(TBS)に行った時のもの。

現場で志村さんはめったに1人でいることはないんだけど、たまたま病院のセットの待合いすに座って1人休憩していた志村さんを見かけた自分は、恐れ多くも怖いもの知らずに志村けんさんに「写真を撮っていいでしょうか?」と訊ねた。ちょっと驚いた様子だったけど「いいよ」と言って下さった。

後に何度も現場でお会いすることになるのだけど、当然写真を撮らせていただいたのはこの時の一枚だけ。若さって凄いなと今になって思う(笑)

「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「志村けんのだいじょうぶだぁ」「ドリフ大爆笑」「志村けんのバカ殿様」そして「くらべるくらべらー」と志村けんさんには本当にお世話になりました。

草創期の特殊メイク業界は志村けんさんがいろいろTV関係の大きな仕事を作ってくれて成長したところも確実にあると思います。

あの時の志村けんさんの仕事で何人もの若い特殊メイクアップアーティストが仕事を得ることが出来て、技術を磨くことが出来ました。

メカニカル・クリーチャーの仕事なんて志村さんの強いホラー映画ファンとしての情熱が無かったらあんなに作れなかったと思います。

20代前半の時の鮮烈な仕事の思い出の多くが志村さんの仕事でした。バブルの時期もあったと思うけど志村さんの仕事はキッチリと予算を組んでくれて質の高い仕事を時間をかけてやらせてくれました。末端にいた僕もいろんな面白い造型物を作ることが出来ました。

現場の志村けんさんはとても厳しい人でした。そう簡単に現場では笑わなかったしお笑いに対して常に厳しい姿でした。そのギャップはたぶん多くの人は知らない姿だと思う。TVの中では一切そういう姿を見せないようにしていたんだろうなぁと思います。でも現場は職人が仕事をする場所。作っているものはとにかくバカバカしいお笑いのコントだったけど、みんな真剣。予算をかけて大掛かりなものの撮影を行うのは大変なことで危険な部分も時間がやたらかかるものも多々あります。

志村けんさんは志村さんの冠番組では実質的に監督って感じで、ほとんど全てを指揮していました。特殊メイクアップも自分で見に来て感想や改良の指示を直接伝えてくれました。志村けんさんのそういうクリエイティブな姿勢に若い自分は凄く刺激を受けました。

今、もう志村さんがいないということになんか実感がわきません。僕が物ごころついた時には志村けんさんはTVの中に当たり前にいて子供の自分はいつもTVで観て大笑いしてました。そんな志村さんがいないのはとても寂しいです。悲しいです。

 

フジテレビ火曜ワイドスペシャル「志村けんのバカ殿様」 ホラーメイクアップ

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